東海科学機器協会の会報

No.342 2012 秋号

転勤者も直ぐに にわか名古屋人になれる本

㈱チノー 名古屋営業所 加藤修二

会員だより


 青春時代15年間を過ごした名古屋に、東京⇒大宮⇒新潟⇒東京⇒大宮と渡り歩き、昨年8月、20年ぶりに舞い戻って参りました。
 昔を偲んで早々に、車を桜・錦・広小路通りを走らせると、ウィンカーも出さずに割込む車、オイオイと思うと同時に、アッ此処は名古屋だと変に納得する自分にビックリ。
また、車を走らせると、「四間道」「水主町」「主税町」「泥江町」「味鋺」「甚目寺」出て来る、出て来る暗号ような地名。エ〜なんて読んだっけと頭の中は、パニック。
エ〜こんなに神社仏閣が多かったかな?20年前には思わなかった、アラ不思議が次から次から見つかり、またビックリ。

 早々本屋に駆け込み、本を物色、売れ筋ベスト10に飾ってあった「名古屋 地名の由来を歩く」に手が伸び、サアッと中身を走り読み、ウンウンと唸り早々レジへ。
自宅でページを捲る事しばし、「四間道」は「しけみち」と読む。
この一帯は、徳川家康の時代、都市が清州から丸ごと移ってきた、いわゆる「清州越し」で生まれた町である。
元禄13年(1700年)名古屋は大火事に包まれ、この地も大きな被害を受けた。
そこで、藩は防火と商業活動復興のために、道幅を四間(7メートル)に広げた。
これが「四間道」の云われである。
ウーンそうなんだと納得、納得。

またページを捲ると、愛知県は、神社仏閣の数が日本一であると書かれている。
京都じゃないのと思いつつ、都道府県別神社仏閣数一覧表を見ると、8014と断トツの数字。
道理でとまた納得。2位は新潟県7601この数字を見て、またビックリ。(ちなみに、京都4838、奈良3224)。
何故、愛知県にこんなに多くの神社仏閣が建立されているのかは定かではないとの事。
ただ、多くの歴史が眠っている土地である事は間違い無いと思い、また、ページを捲り、なるほど、なるほどと唸って本を閉じました。

転勤者も直ぐに にわか名古屋人になれる本 この一冊を読むと、にわか名古屋人になれる事間違いなし。
転勤で名古屋に赴任された方に是非お薦め致します。

読み名:「水主町」カコマチ,「主税町」チカラマチ、「泥江町」ヒジエチョウ、「味鋺」アジマ、
「甚目寺」ジモクジ