東海科学機器協会の会報

No.343 2012 冬号

会員だより 岡崎を訪ねて

㈱中野 中野良昭

 いつもTKK会報誌の会員だよりを拝見させて頂き皆様の多彩な趣味などをうらやましく思います。私にはとても趣味と呼べるようなものはありませんが毎年何回か妻と旅行に出かけております。5年程前から実母が認知症にかかり、あまり遠くへ行けなくなり回数も減りました。それでも年に数回は母を介護施設等に預けて出かけております。
最近では10月27〜28日に岡崎方面に出掛けることができました。岡崎と言えば春は桜、夏は花火大会が有名ですが、その時は大変混雑していますので何もない静かなときに行こうと考えていました。交通手段は自動車にして初日の27日は岡崎では八丁味噌のお祭りが有るということなので混雑を避けてまずは蒲郡の方へいってみました。
ところが蒲郡に関しては何も調べていなかったのですが、三谷町でも三谷祭があり多少混雑しておりました。三谷祭は海の中に山車を繰り出す祭りだそうです。海岸沿いの道路は通行止めになっていました。後で知りましたが、初日の行事は山車が集合するだけなのでなんとか通過はできました。今度は電車で来てゆっくり見学したいです。
 実は今年の夏に豊田市の花火大会を見に行き、かなり早めに帰途についたのですが超満員電車で疲れ果てて帰ってきたことがあり最近は混雑が嫌いになっていました。

 今日は昼食をラグーナ蒲郡のショッピングセンターでとる予定でしたがかなり遅れてしまいました。目当ての海鮮料理店「牧原海鮮店」では13時をかなり過ぎていてもまだお客さんが外に並んでいました。新鮮な地魚が大盛で値段もかなり安く人気があるのも当然です。なんとかクリアしてその後ショッピングセンターで多少のおみやげを買い、蒲郡オレンジパークでみかんを買い、買い物ばかりして予定した観光や見学はカットして岡崎へむかいました。
散々な珍道中でしたがやっと宿にたどり着きました。今回の宿はネットで探した最安値のホテル(一人1泊2食付3千円台)です。人口温泉の大浴場も完備しており比較的新しく快適でした。JRの岡崎駅が目の前です。しかし岡崎駅周辺は、のどかな住宅地で岡崎の中心地ではありません。新しく高級マンションや高級住宅が数多く建てられていました。以前はどういうところだったのか想像ができません。宿は当日満員の札がでていました。
自分もそうですが皆さんよく調べているなあと感心いたしました。ここがリーズナブルな理由としては会計は前払いでフロント受付の後、フロント横の専用の機械で支払いました。夕食は半セルフサービスの日替わり定食で係の人(1人だけ常勤)がテーブルに運んでくれて、食べ終わったら自分で分別して片付け、分別もかなり細かく分けさせられます。

朝食はバイキング方式で全部セルフ、帰りのチェックアウトは機械で精算しフロントには誰もいませんでした。この徹底した方式は見習うべきところがたくさんあると感心しました。 
 翌日28日は岡崎城周辺の観光に出かけました。今にも大雨になりそうな天気なので早めに出かけ岡崎城の駐車場に車を止め場内を散策しました。
まず天守閣に昇りました。天守は小ぶりですが、最上階からの岡崎城下が一望できます。家康ゆかりのお寺である大樹寺からこの天守閣が見渡せるように「大樹寺と岡崎城を結ぶ直線上(ビスタライン)に高層建築物が建てることはできない」ということが守られてきたことは岡崎市民の徳川家康への思いが伺われます。
岡崎城の歴史は古く15世紀半ばに西郷頼嗣に築城されたのが始まりで徳川家康の祖父松平清康によってこの地に移築され、岡崎城となりました。
ここは家康の生誕の地です。その後家康は今川義元の人質となりましたが桶狭間の戦いの後岡崎城に戻りその後浜松、関東に移ってからは家臣や譜代大名に岡崎城を守らせていました。今のような天守閣やお堀は江戸時代に再建されたものです。

岡崎城岡崎城のお堀など全部を含めると日本でも有数の規模を誇ります。しかし明治時代にほとんどが取り壊されてしまいました。岡崎市民の想いと努力で昭和34年に天守閣が復元されました。天守閣の中では歴代城主が紹介され、当時の武士の刀や岡崎の文化・産業が紹介されておりました。公園内には他にも施設がありましたが、新しい施設「三河武士のやかた家康館」に入りました。中はもちろん家康の歴史が中心に展示され、戦いの模型、説明の映像があり、甲冑の試着体験もできます。
家康館の外では毎日今人気の家康武将隊の演舞が披露されます。これにはあまり興味がないので、城外に出ようとしたら今にも大雨が降りそうでした。
岡崎の中心地にある旧東海道の史跡や八丁味噌の工場などを巡る予定でしたが、またの楽しみにとっておくことにし本日はぎりぎり雨にも全く降られず早々に帰途に着きました。気のせいでしょうかいつも雨が多いように思います。
 いろいろトラブルになり計画倒れでしたが歴史の史跡に多少ふれることができ楽しく過ごすことが出来ました。また次の計画を立てたいと思います。