東海科学機器協会の会報

No.312 2006 秋号

[ かきゃあ あんたも ] サファイア・プリンセス船旅日記

朝日テクニグラス株式会社 各務 隆弘


【1】ロスまで往きは約9時間のフライト。
 成田から時間に逆らい機首は東へ。空港から 約30分でロスアンゼルス港着。目前にそびえる憧れの「サファイア・プリンセス」の姿に感激はしたものの、 4:00pm出航なのにギャグウエイは閉まっていた。説明は「操作上の理由」で乗船時間も不明。船会社の用意したお菓子と水で待つこと6時間。更に乗船時にはCIカウンターで入手したクレジット機能付きルームキー・カードが不調で、再発行暫しお預けを食らった。これも2度の請求でやっとゲット。この間も船から謝罪も無ければ納得いく説明も無いまま。いかにもアメリカ的。やっとの乗船は10:00pm。早速バッフェに急行。飢えが落ち着いたところでピアノ・バーに行き、ナイトキャップにバーボン。窓外を見ると船はすでに岸壁を離れMEXICOに進路を向けていた。

【2】終日航海
 船旅も今回で4回目となる。今回は何処に行くかの問題ではなく「MHI長崎で建造された船に乗りたい」の一心による。不運にも、例の火事に見舞われた船として記憶に新しい。船内の水は限外ろ過の海水淡水化水。トイレは飛行機と同じ水消費の僅少な真空式、スクリューは電動機推進など最新の設備とエコロジーに配慮されている。総トン数:116,000?、全長:290M・全高:62M。

 二日目は意外に早朝に目が覚めた。ベランダに出て、幾分の寒さを感じながら太平洋の夜明けを見る。薄明かりの中、走る船が描く水面の泡に船旅のプロローグを実感する。キャビンはデッキ12、右舷のスイートに次ぐA-701.これより憧れのクルーズに浸漬されることと成る。

 朝食は昨夜に依頼しておいたルーム・サービスをベランダで食す。例によって早くも船内ではあちこちで多彩なプログラムが開始されていた。昼にはプールサイド・バーで寿司ランチ店がオープン。所謂カリフォルニア巻きなのだが、外人には結構人気の様で行列が出来ていた。日本の食文化もアメリカでは想像外の変遷をたどっている。

 今夜はフォーマル・ナイト。振舞い酒を飲んでから予約のイタリアン・レストランへ。メニューの組みたてをして料理を注文。先ずはバドを楽しんでいると、隣のお兄ちゃんが彼女と興味深そうにこちらを見ながら話かけてきた。彼はアメリカ・ホンダに勤めるメカニックだった。ホンダマンの誇りを語る彼の大きな手は怪我の形跡が残るエンジニアの手でもあった。完璧なホンダお宅であった。

 夜の楽しみはライブハウス。黒人グループの歌うテンプテーションズ、プラターズ、スティビー・ワンダーの名曲が、移調も見事に聴かせてくれた。毎夜繰り広げられる、エンタメ、ディスコパーティの最初の夜は25時まで続いた。船はメキシコの領海に入り、時計を1時間進めて27時就寝。

【3】終日航海
09_018 船内新聞に見る乗客分布はアメリカ人が2512名。次いでカナダ人が195名。日本人は第三位で26名。以下国籍は31余ヵ国。乗船総客数2884名。因みに乗組員は41カ国1120名。曇天続きであったが夕刻にはやっと天候も回復。バルコニーからは真っ赤な太陽が水平線上で半円になり、更に台形になって、見る間に海中に沈み行く感動のショーがあった。 夜ともなり、又楽しみなエンタメ。デッキ7後部のCLUB FUSIONへ。タイトルは 50‘s Rock & Roll Dance Party。一応50’sに合わせて、シャツをボタンダウンに着替えた。いよいよDance Party.乗客の大半は退役年代で、50’sの頃はおそらく青春の頃であったであろう。
 ここでも小母さんパワーに圧倒される。Danceタイムになると途端に横にいた小母さんグループがフロアに飛び出して行く。立ち上がり際にCome  on!と肩をたたく。エルビスのハウンド・ドッグが流れると最高潮に達し小父さん小母さんが年を忘れて軽快なツイストを踊る。まさに青春回帰。この小母さんたちもきっと、ポニーテイルに白いソックス、ふんわりスカートで鳴らしていたのであろう。着席後、愛嬌あるおしゃべり小母さんの息子自慢、孫自慢にしばらく付き合う羽目に。夜の帳も充分に降り、酔い覚ましにバルコニーへ。何とも幻想的な星空。暗い水面からは、まさに星が眼下から展開していた。明晩は後部プールサイドでのデッキパーティ。

【4】PUERTO VALLARTA
 (プエルトパジャルタ)入港
 四日目にして見る陸地。大気温も亜熱帯域だけあって、そよ風が心地よい。アメリカからメキシコへ入国するのだが、何故かCIQが無いのは不思議だった。アメリカ入国では顔写真の撮影と両手人差し指の指紋登録までしていると言うのに。

 白、ピンク、ブルーなど目抜き通りの建物はカラフル。64年にはリチャード・バートンの映画「イグアナの夜」以来、高級リゾートに化したと言う。観光の中心は石畳のコロニアルな旧市街。海岸にあるタツノオトシゴ像が街のシンボル。一帯に市庁舎、教会、レストランや銀製品、皮製品を売る土産物屋が。

 長くスペインの植民地であったことは市街の設計、教会などに見て取れるが、例えば教会を例にとれば、ヨーロッパの荘厳且つ繊細な建築からすると、やはり植民地のそれでしかない。占領地の謀反を制し、人心を平穏に統治するには宗教も大いに役割があったと理解できよう。観光資源としての海岸の浸食は大きな問題であり、且つ街周辺には尚インディオの貧しい生活があった。

 昼過ぎ、巨大なウオールマートでビールを買って帰船。気温も上がりプールのデッキチェアも満員になってきた。

夜はTropical Deck Party。早くもバンドに合わせたダンスに興じる人達の熱気が溢れていた。若い夫婦が赤ちゃんを抱きながら踊る。小さな子供もリズム感がすばらしく、見ていて絵になる。

 合間にMR.&MS.Sapphire Princessのコンテスト。軽妙な司会に乗せられズボンの早脱ぎ競争。ブラの早脱ぎ競争で盛り上がるのは如何にもアメリカ的。ステージを囲む3層のデッキではバンドに合わせてウエーブが起こり、ダンスが続く。YMCAで最高潮。 深夜になり、キャビンに引き返すも、途中のレストランは夜食を食べる人で満員の様に驚愕。

【5】MAZATLAN(マサトラン)入港
 早朝、接岸。埠頭には輸出待ちするHYUNDAIの乗用車や重機が大挙整列。ここにも同社の工場があり、街にはLG電子の広告。今や韓国の経済力と世界市場を席捲する勢いを目の当たりにする。

 一方、興味があったのはTAXI。白いオープンの、まるでゴルフ場のカートの如く。唯エンジンは2気筒のような音がしていた。さて、市内観光。パパントラ・フライヤーズ。見事なロープ下り。何故このような演技が売りになっているのか、それなりの曰く由来があるのだろう。市内に見るべきものは少ない。

 帰還時、埠頭にサファイアを含め、3隻の船が係留されていた。その繋がりは計算上800Mに及ぶ。サファイアを先頭にセレブリティ・クルーズ籍のINFINITY。船名が読めないがロイヤル・カリビアン籍の客船。まさに壮観絶景であった。

09_023 キャビンに戻りルーム・サービスをバルコニーでランチ。メキシコのリビエラと称される海と、その波の音をBGMに。夜となり劇場でGala Show。カナダ人のシンガーがブロードウエイで脚光を浴びるまでの物語りをダンスと歌で構成。










【6】Cabo San Lucas(カボ サン ルーカス)入港
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 アメリカ、カリフォルニア州の南に伸びるサボテンと砂漠の原野が1700Kmにわたって続く、バハ・カリフォルニア半島の先端。この地も、16世紀アステカの黄金郷を夢見るスペイン船によって、原住民インディオの殺戮があった。当時の欧州人の海外への進出、即ち植民地化は21Cになっても、その痕跡を地球上のあらゆる場所に残している。

 今回初めてテンダーボートの使用。車椅子の青年もスタッフの誘導で、いとも簡単に本船から乗り移った。

 沖合いに停泊したサファイアからボートで約10分、到着桟橋付近は観光船や豪華ヨットが係留され、リゾートの風情を演出する。ここでカタマラン船に乗り換え、シュノーケル・ツアーに参加。

 今回のハイライト。途中「地の果て」と言われる、スポットを船上から観光。1968年、チャールトン・ヘストンの「猿の惑星」で劇的なシーンが撮影された場所。確かに海と険しい岩と砂浜の荒涼とした風景は「地の果て」の形容以外の何物でもない。   

 小一時間でチレノ浜に到着。幾分冷たさを感じる海にとりあえず飛び込む。岩礁近くでは、数十センチのカラフルな魚が群れを成す。用意した朝食時のパンで餌付け。たちまち大きな魚が襲ってきた。ここでは厄介な言葉は関係なく、魚と会話が楽しめた。水中での時間は瞬く間に過ぎ去る。

 2:00pm出航のため、早々にテンダーボートで本船に戻る。さっぱりとシャワーを浴びれば、日焼けに火照る体が心地良い。 ランチはお気に入りの internationalでフルコース。同席の老夫婦は20年前に日本に旅行をしたことを話してくれた。日本への興味は特異なものがあり、 TOYOTA, MITSUBISHI,、SONYなどその商品を褒め称えていた。

 今夜は最大の夜遊びとなる2回目のフォーマルナイト。夕食はpacific moon。昼の過食も何のその。美食は飽きることなく美味しさの虜になる。コーヒー3杯飲んでfinish。8:00pmとなり、劇場へ急ぐも、例のダンスに興じた小母さんが入り口で手を振って「Hi! No seat」。仕方なく第二部に再来することとした。船内は着飾った紳士淑女が往来。

 開演30分程前に行って、格好の席に陣取る。前の席の女性がウエイターに飲み物を注文していた。真似をしてストロベリー・マルガリータを注文。程なく著名な映画をパロったテンポの速い歌とショー開演。健康ランドの歌謡ショーとは訳が違うが、生意気にも見慣れてきたのか、ショービジネスの真髄を見せつけられた、とは言い難い。

 いよいよ夜はこれから。Party Party Partyと銘打って待望の「CHAMPAGNE WATERFALL PARTY」。

 会場のアトリウムでは客に酒が振舞われ、すでに音楽と共にシャンパングラスは数段積み上げられてていた。数段積んではシャンパンをグラスに撒くように注ぎ、又慎重にグラスを上積みしていく。時にはF1レーサーがするように、ボトルを振って、シャワーのようにグラスに注ぐ。

 12:00pm過ぎ、事態は佳境に入り、音楽のテンポもいっそう速まる。頂点の1個は何段目になるのだろうか。ゆっくりと最後のグラスに注がれると、文字通り見事なまでのCHAMPAGNE WATERFALLの完成。その瞬間観客から紙テープが一斉に投げ込まれ、いよいよdance dance dance。階段でも、フロアでも場所を問わず皆踊りだす。アメリカ人は何とparty好き。Dance好き。タキシードやドレスが乱舞する。乱痴気騒ぎか騒乱か。Danceに興じる人々の顔は最高の笑みで溢れていた。一方で客がグラスタワーの後ろに行列をなし、代わる代わるシャンパンを注ぐ。私も並び「シャンパンの滝」を初体験。アナウンスによれば今夜は700個以上のグラスが使用された、と言うことであった。あらためてタワー状のグラスが慎重に解体され、そのグラスが又、客に振舞われた。飲み疲れ、キャビンに戻ったのは2:00am。興奮と感動の一夜であった。

【7】終日航海
朝、ギャレー見学に参加 1回のクルーズで使用する食品は、例えば�ス�テ�ー�キ:2.3t、ベーコン:1.1t、サラダ:2.3t、アイスクリーム:300L、魚介類:4.3tや卵57,000個と、想像を絶する量が消費される。

 ランチは外人2組と同席。母娘組の娘がデザートにシュークリームを注文していた。それは見事なまでにスワンをお菓子で模っていた。娘の顔を見ながら私「それはスワン?」> 娘「勿論スワンでしょう!」>私「可愛いスワンだ。可愛すぎる!」娘は微笑んでうなずいた。私「可愛すぎる、食べるには可哀想だ!」と。一同爆笑。言わなければいい事を言ってしまった。悲しいことに同席の皆が一斉に話しかけてきた。訳がわからない私は、食事が終わっている事を幸いに。「次のプログラムの時間になったから・・・」と惨めな気持ちで退散。

 昨夜の疲れもあり、船内散策しながら優雅な船旅の日々を回想する。外気も温度が下がってきて船が北上していることが分かる。明日はLOXに帰る。時計を1時間戻し、本日は25時間。

【8-9】LOXからNRT>NGO
09_04 夜明けと共にLOX港に帰ってきた。時同じくしてアラスカ・クルーズから戻った僚船・Island Princessも入港。巨船同士が一緒に入港の図は、一種のショーを見るようでもあった。アイランドを窓外に見ながら最後の朝食。部屋にコーヒーを持ち帰りバルコニーで今回の旅を想起しながら、味わい深く飲み干す。8日間使用したクルーズ・カードを最後に機械へ通して下船。

 サファイアは今夏のアラスカ・クルーズ後、太平洋を航海し、日本へ里帰りの予定になっている。思い出の詰まった船に、後ろ髪を引かれながら別れを告げLOX空港へ。明日からは又「日常」に戻る。

 振り返れば今回の船旅では新たな体験をしながらも、多岐にわたる感慨もあった。

 船内いたるところで人とすり違えばオ・ア・シ・スで呼応。リフトに乗り合わせれば瞬時の情報交換。レストランで同席となれば四方山話。アメリカ人の話好きは、多民族の寄り合い社会で相手に敵意を持っていない証として、笑顔で話しかける文化が必然であったと聴く。船はメキシカン・クルーズであったが、実は 4000名近くが作る船内での偶然のコミュニティを経験した事に意味があったのかも知れない。

 元気な老人夫婦が過半数を占め、楽しみとして船旅は定着しているようにも思えた。更にバリア・フリーの船内では、スタッフの支援もあり、障害を持つ人も相当な割合で乗船していた。彼らがごく普通に旅を楽しんでいる光景に、何故か「よかった!」と感じる場面が幾度もあった。七つの海を往来した船が1900 年代中頃には飛行機にその役割を交代する時代となったが、船旅は時空を越えて思いをめぐらすに充分な時間が得られ、地図の上を線で旅することの意義と、知ってるつもりでも知らないことが山ほどある事を教えられた旅でもあった。

 昨年に還暦を迎えた。この旅をあえて「人生の折り返し点」と位置づけ、更に「感動」する心を見失わないよう生活したいと思う。何と折り返しのゴールは計算上120歳となる・・・が!!!