東海科学機器協会の会報

No.328 2009 冬号

〔会員だより〕正字・正假名(かな)のすゝめ


㈱ヤガミ 向山 裕


8-113

  こゝ數(すう)ヶ月、私は自らの日本語書記法を全面的に見直し、正字(舊字體:きゅうじたい)と正假名(歷史的假名遣ひ:れきしてきかなづか)を用ゐて文章を綴つてをります。これまで新字、新假名(現代假名遣ひ)で全然困つたことがない私が、何故斯かる決心に至つたかを說明致しませう。
  これまで、正字・正假名ともに、古い映畫(えいが)や新聞等で稀に見る「何か古臭い書き方」としか考へてゐなかつた私は、當然(とうぜん)新字・新假名の成立經緯(けいい)にも全く關心(かんしん)を持つてをらず、多分あるとき、國語(こくご)を良くしやうとする人達が改善したのだらうといふ程度に考へてゐました。ところが偶然そのあたりの事情を論じたとある本を讀(よ)み、私は驚きました。
  何と約60年程前、我が國の國語政策において、日本語から漢字と假名を全廢(ぜんぱい)し、ローマ字化してしまはうといふ動きがあり、段階的實行(じっこう)の初手として當用(とうよう)漢字表に基づく漢字の音訓制限、來(きた)るべきローマ字化の布石として現代假名遣ひによる無茶な表音化が行はれたといふのです。私の使つてゐた新字・新假名は、國語を良くしようとする人達どころか、國語に敵意を抱いた奴輩の盛つた猛毒だつたのか…無論「子々孫々ずつと使つていく國語だから、きちんと筋道を立てゝ作らう」などといふ考へは毛頭無く、正字・正假名が持つてゐた確りした文法、語源性は打ち碎(くだ)かれ、不具合、例外、矛盾山盛りの慘憺(さんたん)たる有樣となつてゐます。
  讀者諸氏に於いては既にお解りの通り、ルビさへあれば正字、正假名ともに判読に支障ありません。ところが正字・正假名で綴られた筈の昔の文学作品は、今や國語の敎科書(きょうかしょ)や店頭の書籍もすべて、賴(たの)みもしないのに何もかも新字・新假名に翻譯(ほんやく)されてゐるのです。作品鑑賞の機會(きかい)を大いに減じられ、不服千萬(せんぱん)です。
  とまあ上記のやうな事情により、私は書記法の見直しを速やかに實行、諸兄姉から浴びる「讀みにくい」「鬱陶しい」との批難にもめげず、却つて不退轉(ふたいてん)の決意を固めた私の志は、すぐさま大きな問題にぶち當たりました。最も文章を書く機會の多い業務中の文を、正字・正假名にできない。多分始めたところで半日保たずに駄目が出るに違ひない。怒鳴られる前にこの事を洞察した私は、速やかに「私的な信條で業務に支障を來すのは良くない」といふ結論を下し、目下私文やメモ書きなどで、それと解らない程度に正字・正假名を使ふといふ段階的實行の有效な手段を思ひ付いたのです。まだ見ぬ同志の皆さん、まづは「私文やメモ書きなどでそれと解らない程度に正字・正假名を使ふ」事から始めませんか?