東海科学機器協会の会報

No.333 2010 冬号

〔会員だより〕鎮守の森探訪


エスペックミック㈱ 吉野知明


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 学生時代の10年間、静岡県静岡市で過ごした。瀬戸内海に面した播州姫路育ちには、静岡の冬の暖かさ、まとまった雨の多さは驚きであった。この暖かさと雨の恩恵なのだろう、山に生える木々もひときわ大きく、森の伊吹の力強さを感じていた。大学近くの池のほとりにある神明社には太いクスノキがあり、その迫力に圧倒された。以来、巨樹や古い鎮守の森が気になりはじめ、大学時代には自転車を駆って、近くの神社を巡り、あるときは自転車を夜行列車に積み込み、九州の鹿児島や宮崎の巨樹を見て回った。
 私の性格なのか、巨樹や森を見て回るときには、あまり綿密に計画を立てたりはしない。あるときふと思い立って探しに行くというのがぴったりなのである。お目当てがあっても、寄り道で立ち寄った場所の方が気に入ってしまうことや、ひどい場合には、結局たどり着けなかったりすることもある。連れまわされる友人などは、たまったものではないが、あても無く地方の国道をゆったりと走りながら、思いがけず何ともよい感じのスポットを見つけてしまうという感覚は、宝探しにも似て、たまらなく爽快である。
 そのような森に残される樹木の迫力も私を惹き付けてやまない。里山の雑木林や公園の散歩で見かける樹木はせいぜい太さ30㎝程度。一番高い枝でも簡単に見えてしまいそうなものが多いのだが、鎮守の森の樹木は抱えようとしても抱えられないくらいの太さ。枝葉は敷地一杯に広がる様であり、最も高い枝などは、下から見上げる限り、ほとんど見ることが出来ない。樹齢数百年を経て、自分のはるか祖先の代から生き残ってきた生き物に相対していることが嬉しいのである。
 しかしながら、昨今は地域に住む人の事情、台風や雷などの気象害での枝折れもあるのだろうが、無節操に枝が落とされ、気息奄々といった古木も多い。植物も人と同じ生き物であるし、もう少し良い方法がとれないものかと思う。今は、縁あって地域に本来あった自然を再生・創出することを一事業とする会社で森林再生事業に携わっている。趣味の鎮守の森めぐりであるが、少しでも地域の緑を活かし、引き継いで行くことに役立てることが出来れば嬉しいと思っている。