東海科学機器協会の会報

No.372 2019 秋号

かきゃあ あんたも 見るということについて

エスペックミック株式会社 野口 達也

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 ひょんな事をきっかけに今まで見えていなかったものが見えるようになった経験はないだろうか?幽霊や神様が見えるといった類の話ではなく、今までも同じ景色を見ていた筈だったのに、興味を持って見てみると全然認識できていなかった世界があった事に気付くという話である。
 2018年の晩冬に山中でコーラの1リットル瓶と出会った。見つけて拾ったのは会社の先輩で、その場に居合わせた私が譲り受けたのである。譲り受けたそれは不法に投棄されたただのゴミだ。言ってしまえば私はゴミを譲り受けたのだ。それでも拾った先輩も譲り受けた私も宝物を見つけたような感覚であったことは間違いなかった。これはいいものだ!とワクワクしながら持ち帰ったお宝を洗い、インターネットでそれについて調べた所、1974年から販売が開始された初代1リットル瓶であること、コーラの1リットル瓶は、その後デザインを変えながら1995年頃まで製造され、6代目まで存在する事が判明した。それから昔のゴミ捨て場を掘ったり漁ったりしてレトロな瓶やガラス製品を収集するボトルディギングという遊びがある事も知った。
 コーラのビンと出会って1年が経過した今年の春、私は良い感じの流木を拾いにダム湖を訪れていた。その日は偶然ダムの水位が下がり普段水没している集落の跡が露わになっていた。泥が積もったかつての集落だが、家だった場所、村民が往来していたであろう道の位置がなんとなくわかる。もちろん家は基礎が残るのみである。うろうろ集落を散策していた私は古いビンが所々に落ちていることに気が付いた。それからというもの、流木なぞそっちのけで半分泥に埋まったビンを見つけては、その付近をほじくり返して古いビン、いい感じのビンを探すことに精を出していた。水没した集落はレトロ瓶の宝庫だったのである。私のボトルディギングが始まった瞬間であった。昨年のあの日にコーラの1リットル瓶に出会っていなければ、落ちているビンに対して興味なんか無く,もしかしたらビンが落ちている事にも気が付かないまま、集落跡の散策と、いい感じの流木を探していただけだったと思う。あの出会いがこれまでの人生になかった新たな視点が生まれた瞬間だったのであろう。要するに今まで見えていなかったものが見えるようになったのである。
 落ちているビンが見えるようになった所で何の役にも立たないし、だから何だという話だが、仕事でも生き抜く術でもなく、趣味なんだから役に立つ必要はそもそもまるでない。良い感じのビンは私にとっては問答無用で良い感じなのだ。要は私が楽しければいいのだ。知らない世界はたくさんある。興味を持って見ることでしか得られない情報もある。見えるものが多い方が人生豊かで楽しいのではないかと思う。